どうする家康/徳川四天王って誰?役割や何をしたのか紹介します!

どうする家康

徳川家康
徳川家康

2023大河ドラマは「どうする家康」、私の最重要家臣、徳川四天王についてはあまりしられていないようだ。

徳川家康自身についても、あまりわかっていなかったな、と思うこともある上に、家康を支えた家臣団って誰がいたっけ、と思う方々もいらっしゃると思います。

これまでは、どうしても戦国大名ばかりが目立つような印象でした。

「どうする家康」では、家康と家臣団の絆が重要、そしてどんな家臣たちがいるのかを知っておきたいですね。

この記事では、「徳川四天王」がそもそも誰なのか、どんな役割をしてきて、大河ドラマでは誰が演じるのか調べました。

この記事を読んで、徳川四天王に関してスッキリして、どうする家康、愉しんでいきましょう。

徳川家康
徳川家康

私を支えてくれる大事な者たちを知ってほしい。

スポンサーリンク

どうする家康?徳川四天王って何?

徳川家康には篤く仕えた三河家臣団がいたからこそ、天下を取れたといわれていますが、その中でもとりわけ家康に忠義を尽くし、江戸幕府が長く続く基礎をともに築いた4名の家臣が、仏教の四天王になぞらえて「徳川四天王」と呼ばれています。

その4人とは、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政です。

もとになった仏教の四天王とは、東西南北を護る“東方の持国天””西方の広目天””南方の増長天””北方の多聞天(もしくは毘沙門天)”のこと。

中国、日本では武将の姿で表されることも多く、武将に仕える4人の優秀な家臣や、一芸に秀でた4人の人々を四天王と呼ぶようになりました。

源頼光の四天王、織田信長の四天王、また和歌の四天王などのように使われています。

徳川家康
徳川家康

素晴らしい家臣ばかりだがとりわけ四天王には世話になった。

スポンサーリンク

どうする家康?徳川四天王其の一【酒井忠次】

徳川四天王筆頭に挙げられるのは、酒井忠次

大森南朋さんが演じられます。

家康より15歳年上で、家康が今川家の人質としていたころから、常に家康の側にいて、最初から最後まで家康を支持し、忠義を貫きました。

Twitterにあるように、海老すくいという宴会芸の持ち主で場を盛り上げる才能の持ち主でもありましたが、戦での活躍、交渉能力の高さでも家康にとって何物にも変えられない存在でした。

家康が今川家の人質であったころから、今川と織田の戦で柴田勝家を撃退。

家康が武田家に惨敗して逃げ帰った「三方ヶ原の戦い」では、城で太鼓を鳴らして味方の士気を上げ、追ってきた武田軍はそれを聞いて引き返したといわれています。

そして織田家との同盟後は、武田家との「長篠の合戦」で奇襲をかけ、信長からも絶賛されます。

また、同じく四天王の仲間である榊原康政と井伊直政との仲たがいを取り持ったり、重臣として様々な調整役を行ったとされています。

幼い頃から常に家康とともにいて、包容力があり、武将としての戦闘能力も高く、調整役としても安定していて、時としてお調子者として場を盛り上げることもできる…とは、なんと素晴らしいのでしょう。

そんな忠次も、家康の長男信康を救えず、それが禍根となった…という説もありますが、諸説ありますので、実際ドラマではどのように描かれるのか、楽しみにいたしましょう。

徳川家康
徳川家康

忠次の海老すくいは絶品だよ!

スポンサーリンク

どうする家康?徳川四天王其の二【本多忠勝】

「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の兜に本多平八」とうたわれたように、織田信長も、豊臣秀吉にも家康の家臣にこんなに優れた人物がいるのか、と驚かせたのが本多忠勝

生涯で57回もの戦に参戦して、最前列に立って明らかに不利な戦いでもかすり傷一つ負わなかったとされる、戦国最強ともいえる武将の一人。

愛用の槍、「蜻蛉切」は日本三名槍のひとつ、戦場でこの槍の先に止まった蜻蛉がそのまま二つに裂けてしまったところから名づけられました。

三河一向一揆で、親族が一向宗側についても自分だけは家康の側に。

浅井・朝倉軍と戦った「姉川の戦い」では、たった一騎で朝倉軍の正面に突っ込み、相手をかく乱させました。

武田信玄との戦に敗れて撤退するときもしんがり(最後尾)を務め、武田軍に追いつかれても防ぎ、無事家康が帰還できることになりました。

本能寺の変で織田信長が討たれ、京都に少人数の家臣と来ていた家康は、「もうダメだ、自害する」と言い出します。

家康の人生最大のピンチ、伊賀越えです。

忠勝は気弱な家康を励まし、服部半蔵の助けを借りながらこの難所を切り抜けます。

豊臣秀吉との直接対決、「小牧・長久手の戦い」でもひるまない忠勝に秀吉からも「天下無双の東の大将」と称賛されます。

関ヶ原の戦いでは、東軍の最高司令官でありながら、自ら出陣してしまう53歳でもありました。

江戸幕府が開かれた翌年に、亡くなります。

死の直前に一度だけ怪我をした、それは小刀で名前を彫ったときに指を切り、そこで死を覚悟したともいわれています。

演じるのは、山田裕貴さんです。

徳川家康
徳川家康

忠勝の活躍がなかったら、私は有り得ない。

スポンサーリンク

どうする家康?徳川四天王其の三【榊原康政】

三人目は、榊原康政です。

家柄については、松平家の家臣の家臣の次男、ということで異例の出世ともいわれています。

家康がたまたま立ち寄った寺で康政の利発さが気に入られ、そこから家康の側近としての人生が始まります。

前述の本多忠勝と同い年で、家康を守る最強の味方となるのです。

家臣団も割れた三河一向一揆でも家康の側にいて、その後も家康のSPのような立ち回り。

もっとも危なかったといわれるのが、本能寺の変の後の「神君伊賀峠越え」で、明智軍や落ち武者狩りが家康を狙う中、34人の家臣で京都から逃げたときです。

もうだめだ、自害すると例によって騒ぎ出した家康を本多忠勝らとともになだめすかし、200人以上は倒しながら、服部半蔵の助けを借りて脱出。

家康とともに生死をわかつ体験をして、その都度ともに生き延びてきたのです。

また、若く不遜な態度の井伊直政が気に入らず、差し違えるとまで言っていたのを酒井忠次が仲介に入り、その後親友となったのも興味深いところです。

関ヶ原の戦いでは家康の息子秀忠について大遅刻したり、それについて取りなしたり、重鎮の家臣として最後まで貴重な存在でした。

家康が征夷大将軍になって3年後に亡くなりますが、2代将軍になった秀忠も厚く見舞ったというところから、人望篤かったのです。

演じるのは、杉野遥亮さん。

徳川家康
徳川家康

康政はいつも側にいてくれた。

スポンサーリンク

どうする家康?徳川四天王其の四【井伊直政】

徳川四天王最年少にして、頭脳明晰、勇猛果敢な絶世の美青年という文句なしの存在が、井伊直政

若いので、登場も他の3人よりはどうしても遅くなってしまうことでしょう。

「おんな城主直虎」で菅田将暉さんが演じたのも、井伊直政。

井伊家は一時期断絶となるも、直政が家康の目に留まって小姓となったことから再興が叶います。

家康の寝所に入った刺客を討ち取ったり、忍者を使わせて武田家に奪われた高天神城を奪い返したり。

直政もまた、家康の最大のピンチ伊賀越えの際に側にいて、果敢に働き、家康から特別な褒美をもらっています。

勇敢なだけではなく、光秀が討たれた後には領地内の平定のため、武田の遺臣を懐柔したり、北条家と和平を結んだりと、平和的な解決にも貢献しています。

そして、井伊家といえば、「井伊の赤揃え」として赤い甲冑で全身決めて怖れられた軍でもあります。

関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで42歳の若さで世を去ることになりますが、徳川最大の功労者ともみなされ、30万石という極めて広く、琵琶湖畔という重要拠点を任されることになり、井伊家は幕末まで力のある譜代大名として(大老井伊直弼をも輩出)存在することになります。

徳川家康
徳川家康

井伊家が残っていてくれてよかった。

スポンサーリンク

どうする家康/徳川四天王って誰?まとめ

家康の家臣団は強固で、彼らのおかげで家康は天下を取れたといっても過言ではありません。

その中でもとりわけ誉れ高い四天王についてまとめてみました。

これからのドラマの展開がとても楽しみです。

  • 徳川四天王は酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の4人
  • 酒井忠次は家康より15歳上で常に見守り、時にユニークな存在。
  • 本多忠勝は最強の武将であり、生涯戦いでは一度も傷を負わなかった。
  • 榊原康政は文武両道、幼い時から共にいて家康や息子の秀忠も守り抜いた。
  • 井伊直政は最年少にして、知力武力共に優れ、井伊の赤鬼と怖れられた。
徳川家康
徳川家康

みな、ありがとう。感謝の言葉もない。

コメント