2023年大河ドラマは「どうする家康」、家康自身が主人公で、これまでは戦国大名のみにスポットライトがあたりがちでしたが、家康の家臣団に大いに注目が集まりそうです。
その中でも家康の側近中の側近、徳川四天王と呼ばれた4人の家臣がおりました。
酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政です。
そのうちのひとり、杉野遥亮さん演じる榊原康政について、そもそも誰なのか何をした人なのか、子孫はいるのかなどなど、知っていきましょう。
「どうする家康」では、家康を海辺で諭す役割で登場もカッコよかったですね。
康政、そなたがいなければ生き抜くことはできなかった…。
どうする家康/榊原康政って誰?
旗印は、「無」。
意味はいまだにわかっていませんが、無私無欲や、無名の武士として一生を終える、ということを自身に命じていた、など様々な説が残っています
家康に一筋に仕え、武力も知性もある武将として、生涯を家康にささげるのです。
どうする杉野遥亮
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) May 12, 2022
・台本を読んで面白いと思ったところは?
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生まれは、松平家に仕えていた酒井家に仕えていた家柄で、いわば家臣の家臣である陪臣でした。
しかも次男坊であったので家康の側近になれるというのは大出世でした。
その生まれからどうやって四天王と呼ばれるほどの地位を確立したのでしょうか。
康政の一生を見るだけでも十分ドラマチックで興味が尽きません!
家臣には本当に恵まれたが、康政にも感謝しかないかも。
どうする家康/榊原康政って何をした人?
家康に見出され、大出世
家臣の家臣であった康政がどのように家康と出会ったかは諸説ありますが、
一説によると、桶狭間の戦いの後で撤収する家康が立ち寄った寺ということになっています。
13歳の康政は利発な様子が気に入られ、家康の小姓として身の回りの世話をするという幸運をつかむのです。
康政の何が家康をそこまで惹きつけたのか、資料では残されていませんが、ドラマではなにかしかのエピソードが語られるのでしょうか…。
ふふふ。康政を見つけたわれは偉い。
三河一向一揆の功績で「康」を賜る
康政が家康の小姓として仕えていた時の名は「亀丸」もしくは「小平太」でしたが、
初陣は三河一向一揆。(家康の人生3大ピンチの一つ、詳細はこちら)
これは、三河国内で当時大きな勢力を誇った一向宗(浄土真宗)の門徒たちによる反乱で、
家康の家臣たちの多くも信徒であったため、家康にとって大変苦しい戦いとなりました。
士気の上がらない家康軍の中で、
「神罰が下るなら俺が引き受ける。みなは安心せよ。」と堂々と言い放ち、味方を安心させたといいます。
実は初陣であったとは思えない、肝の座った康政なのでありました。
そ何があっても家康についていく、と軍を励まし、反乱を平定するきっかけとなった康政の姿はどれほど家康を励ましたことでしょうか。
無事に一向一揆を鎮圧できた折には、家康から名前の一字の「康」を賜っています。
それほどまでに、家康は康政を評価していたということでしょう。
一向一揆は厳しかった。康の字を授けよう。
戦いで活躍を重ねる
桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち果たし、家康も今川家の人質から織田家の同盟者と
立場を変えていきます。
松平元康から徳川家康へとなり、その年に康政も元服します。
武功に優れた本田忠勝と同い年でした。
二人はともに家康のSPともいえる「旗本先手役」となり、合戦ともなれば率先して戦う、重要な役割でした。
家康は家臣を成長させる才能があったに違いありません。
浅井長政との「姉川の戦い」では、たった一騎で乗り込んでいった本田忠勝を擁護して、一気に敵陣を切り崩すという役割もしています。
そして、家康最大のピンチといわれる「神君伊賀越え」でも康政は家康の側にいます。
これは、家康がわずかな手勢で信長のもとを訪れて、三河に帰ろうとしたところ、本能寺で信長が討たれ、一転、身の危険にさらされたことを言います。
家康はもうだめだ自害するーーー、と騒いでいたところを、康政や忠勝をはじめとした34人の家臣団の決死の団結と戦いにより、命からがら三河にたどり着くことができたのです。
康政は、常に家康の側にいたのです。
家臣に恵まれるのも才能かもしれない。
井伊直政は許さない?
戦いに強く、家康に忠義を尽くす康政ですが、人に対しても甘くはありません。
その中でも同じ四天王のひとり、井伊直政とは、当初仲が悪かったのです。
自分より13歳年下で、文武両道、イケメンの井伊直政のことがかなり気に入らなかったらしく、
康政は、「あの若造、刺し違えてやる」とまで言ったとか。
家中での争いは無用、と四天王の長老酒井忠次が仲介に入ることになります。
腹を割って話してみれば、似た者同士。
すっかり意気投合して今度は無二の親友となりました。
「大御所のご心中を知るものは直政と我のみなり」とまで言い、
直政が自分より早く世を去ると、その息子に書状を送って励ましたりもしています。
家臣の中での争いは勘弁してーーー
秀吉を怒らせた男
織田信長が亡くなり、その後釜にうまく座った豊臣秀吉。
家康の一家臣に過ぎなかった康政ですが、その秀吉を怒らせて一躍有名となる出来事を起こしました。
信長の跡目争いの中で、家康と秀吉の戦いも起こっています。
家康が信長の次男信雄を担いで戦った「小牧・長久手の戦い」
この時康政は、家康の代筆をしたといわれるほどの達筆で高札を書いてあちこちに立て
ビラもばらまいたのです。
その内容は
「秀吉は卑しい生まれなのに信長に大恩を受けた。なのに、織田家に弓を引く、不義悪逆の限りだ」
という、いや、ホントなんだけど言っちゃまずいでしょ、というもの。
そこに堂々と自分の名も署名してしまう。
秀吉は激怒して、康政の首に10万石という懸賞金をかけたのです。
この小牧・長久手の戦いは和睦となり、康政は指名されて使者として秀吉のもとに。
首切られちゃう?ことはなく、秀吉もさすがです。
康政の豪胆さを褒めたたえたのです。
実はちょっとビビりました。康政殺されちゃったら困るし。
三成の謀略から家康を護る
時は過ぎて秀吉の死後。
石田三成たちと日々険悪になっていく中で、康政は家康がいる京都の伏見屋敷が三成に襲撃されるようだというわさをキャッチします。
急いで京に向かう康政ですが、ただ家康の側に行くだけではありません。
まず、近江、滋賀に行き、「関所」を作って京都に行く人々を足止めさせます。
近江から京に向かう人たちは意味もなく待たされ、その人数はどんどん増えていき…。
増えたところで、どっと開放されます。
大量の人々が京都に押し寄せるわけですが、その前に康政はちゃっかり「徳川軍が上方に集結している」とうわさを流しておいたのです。
人々は、この人々は武装していないが実は徳川軍?と思い込んでしまうわけです。
さらに、兵糧を買い占めさせておくという準備の良さ。
噂が噂を呼び、家康襲撃計画は反故にされたとのこと。
武力を使わず、知恵で家康のピンチを救ったのです。
武力だけではない、知力も見事な康政だ。
どうする家康/榊原康政の家族や子孫は?
関ヶ原の戦いでは、2代将軍となる秀忠についていた康政、
なんと関ヶ原の戦いに間に合わず、着いたのは戦いが終わってから数日たってから。
というのも、真田丸の真田昌幸軍と戦うことになったり、大雨で川が増水したりと、不運に見舞われたからなのですね。
家康は大変怒って秀忠に会おうともしません。
それに対して、やむを得ないことであったのに、と康政はたいそう憤ったとのことです。
そんな康政でしたが、その6年後の1606年に病のため、亡くなります。
59歳でした。
秀忠は康政を心配して医師や薬などを手配して厚く見舞ったということです。
康政の死後、幾度も榊原家は存続の危機となりましたが、元が徳川四天王であること、家康が最初の祖存続の危機を救ったこともあり、その都度救われてきました。
また、康政の兄の家系は駿河久能山東照宮の責任者となっています。
康政の血筋は続いているのだ
どうする家康/榊原康政を演じる杉野遥亮さんとは?
榊原康政を演じる杉野遥亮(すぎのりょうすけ)さんは、1995年9月18日生まれの注目のイケメン若手俳優さんです。
千葉県出身で松坂桃李さんに憧れ、彼と同じFINEBOYSのモデルオーディションでグランプリを獲得し、デビューしました。
デビュー翌年から次々とドラマ、映画、CMにと大活躍されています。
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— NHK名古屋 (@nhk_chubu) June 2, 2022
🔔大河ドラマ「どうする家康」
\#杉野遥亮 さんが東海地方で特に行ってみたい場所とは?
先月行われた #チーム家康 発表会見での個別インタビューをお届けします。#榊原康政 #どうする家康https://t.co/7aiYMucFR6 pic.twitter.com/9dZhL7IpIa
出演作をざざっと挙げると、(抜粋です)ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」「花にけだもの」「ゼロ一攫千金ゲーム」「ハケンの品格」「必殺仕事人」「直ちゃんは小学三年生」「恋です!白状ガールとヤンキーボーイ」「妻、小学生になる」
映画「キセキーあの日のソビト」「覆面系ノイズ」「春待つ僕ら」「居眠り磐音」「羊とオオカミの恋と殺人」「東京リベンジャーズ」などなど。
そして今回の家康の側近として、ほぼ一年間通して杉野遥亮さんに会えることになります。
楽しみですね。
どうする家康/榊原康政ってどんな人?まとめ
徳川四天王のひとり、榊原康政、大河ドラマ一年間の活躍が楽しみです。
- 家臣の家臣という家柄だったが、少年のころに家康に見出され、結果大出世する。
- 初陣は三河一向一揆、神罰は自分が背負うと豪語し、活躍して家康から「康」の一字をもらう。
- 旗印は「無」、一生を無名の武将として終える覚悟?
- 徳川四天王のひとりとして本多忠勝とともに家康の側近としてそのピンチを救い、井伊直政とは当初反目していたが、酒井忠次の仲介により無二の親友となる。
- 小牧・長久手の戦いでは、秀吉を嘲笑する立札を立て、首に懸賞金をかけられるが,和解後は評価される。
- 関ヶ原の戦いでは秀忠とともにいて、遅刻、参加できなかった。
- 幕府成立3年後に死去、2代将軍秀忠からも厚い見舞いを受ける。
康政よ、感謝しかない。
徳川四天王についてはこちら。
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