どうする家康/山田裕貴さん演じる本多忠勝ってどんな人?

こんなことあんなこと

2023年大河ドラマは「どうする家康」です。大河ドラマで戦国時代が舞台の場合、必ずと言っていいほど登場しますが、家康自身が主人公となるのは1983年以来かも…。

今回は家康とその家臣団にかなりスポットライトがあたりそうです。

その中でも家康を支えた徳川四天王は重要な役柄です。

今回取り上げる本多忠勝は、徳川四天王のひとりであり、最強の武士でありました。

生涯負けなし、かすり傷一つ負わず、「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八(忠勝の事)」と言われたほどの名将です。

この記事では、山田裕貴さんが演じる本多忠勝について、どのような人物だったのかその生涯は、子孫は、などなど掘り下げていきます。

徳川家康
徳川家康

忠勝にはどれほど助けられただろうか!

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どうする家康/本多忠勝って誰?

徳川家康が天下人となれたのには、とにかく家臣に恵まれていたから、とさえ言われています。

その家臣団の中でも最強と言われたのが本多忠勝、生涯徳川家康に仕えています。

武田軍の小杉左近からは「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に(兜の飾り物)本多平八(忠勝)」と言われ、織田信長には「花も実も兼ね備えた武将である。」と絶賛され、豊臣秀吉には「日本第一、古今独歩の勇士」と褒めたたえられています。

桶狭間の戦いから関ヶ原を通して、戦い抜き、生涯57回の戦いに赴きながら、傷一つ負わなかったという恐るべき実力の持ち主です。

戦国最強の武将と見る向きもあり、その強さ、豪胆さ、忠実さは群を抜き、いでたちや武器も伝説となるものばかりです。

「どうする家康」でも多くのファンを魅了すること間違いないでしょう。

徳川家康
徳川家康

私の側にいてくれたことには感謝しかない。

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どうする家康/本多忠勝って何をした人?

それでは、本多忠勝がその生涯で何をしたのか見ていきましょう。

鹿角脇立兜は忠勝のシンボルマーク

本多忠勝の生涯

本多忠勝が生まれた本多家は、松平家(徳川本家)に仕えていた家ですが、生まれて間もなく父が戦死したため、叔父に育てられます。

幼いころから家康に仕え、桶狭間の戦いの前哨戦が初陣となっています。

家康の三大ピンチのひとつ、三河一向一揆では、一族がみな一向宗側についているところ、浄土真宗(一向宗)の信仰を浄土宗に変えて、家康の側につきます。

一向一揆では活躍し、家康に「その勇ましさはずば抜けている。」と絶賛されました。

19歳で家康直属の親衛隊に選ばれ、篤い信頼を寄せられていたことがわかります。

そして、負けなし武将忠勝の活躍が始まります。

織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍と激突した「姉川の戦い」では、なんとたった一騎で朝倉郡の正面に突っ込みます。

それをみた四天王の一人榊原康政が側面から援軍に入り、朝倉軍は崩れ、勝利します。

信長は「花も実もある武将だ。」と褒めたたえます。

武田信玄との戦いでも殿(しんがり/最後尾)をつとめ、危険な役割ながら家康を守り抜き、それをみた武田の家臣から「家康に過ぎたるものがふたつあり、唐の兜と本多平八」とまで詠ませることになったのです。

長篠の戦でも武功を上げ、鬼か人か、とまで怖れられました。

家康のピンチを救ったという点においては、これも家康の三大ピンチのひとつ、信長が本能寺の変で討たれ、家康が必死に逃げた「伊賀越え」でも、家康の側にいたのです。

家康は信長のあとを追って自害すると騒ぎ立て、忠勝をはじめとする家臣たちがなだめて帰国を決意します。

家臣たちからしたら、ここまで必死に仕えてきたのに家康にあっさり自害されては困ります。。

とはいえ、わずか30人ほどの手勢で、明智軍に落ち武者狩りに、帰るルートも危険がいっぱいです。

そこを服部半蔵はじめ忍びたちの手助けを得て、かれらも200人ほどを斬り捨てて難を逃れます。

ここに忠勝がいたことは非常に重要だったといえるでしょう。

忠勝の活躍はまだまだ続きます。

信長の死後天下人となった秀吉と戦ったのが、小牧・長久手の戦いです。

家康が苦戦していると聞き、留守を預かっていたにもかかわらず出陣、秀吉は忠勝のその姿に

攻撃をするなと命令、秀吉からも高く評価されることになります。

秀吉の死後、天下を分けた関ヶ原においては、東軍の最高司令官でありながら、自ら出陣し、敵の首級をあげています。

三重県桑名を所領とし、忠勝の国づくりにより、桑名藩は交通の要所として栄えることになります。

そんな忠勝も江戸幕府が開かれた後は病気がちになります。

死の直前に小刀で名前を彫っていた時に指を切り、それが生涯ただ一度の怪我でした。

そのときに死期を悟ったとも言われています。

江戸幕府が開かれてから7年後に63歳で亡くなります。

本多忠勝の戦いのいでたち

本多忠勝といえば、名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」の持ち主です。

6mほどもあった名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」は、天下三名槍とも呼ばれ、戦場で槍の先に止まろうとした蜻蛉が、真っ二つになってしまったということから、その名が付きました。

また、忠勝の兜は鹿の角を生やした「鹿角脇立兜」と呼ばれるものです。

桶狭間の戦いで、(当時今川軍の人質だった)家康が逃れるときに、賢い鹿が現れて安全に退却できた、とのことから忠勝は鹿を戦いの神八幡神と考え、鹿角の兜にしたとのこと。

甲冑は黒くて軽いもの、忠勝が機敏が動きをしていたのは、甲冑のおかげでもあったのでしょう。

戦場においては、討った敵を弔うために大きな数珠をかけていたともいわれ、蜻蛉切に鹿角の兜に、漆黒の甲冑、さぞかし味方を奮い立たせ、敵に脅威を与えたことでしょう。

徳川家康
徳川家康

とにかくかっこよすぎるんだよな…

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どうする家康/本多忠勝の家族は?

本多忠勝には正室の久と側室の乙女の二人の妻がいて、男子二人女子五人の子どもを得ています。

長男の忠政が桑名藩を継ぎ、次男忠朝が、桑名以前に所領であった大多喜(現在の千葉県夷隅郡大多喜町)の所領をそれぞれ継いでいます。

また、大坂の陣ののち、秀頼の正室であった千姫と、忠勝の孫の忠刻が婚姻しています。

本多家は、廃藩置県のちも子爵として華族に列せられ、楽天の三木谷氏も本多忠勝の子孫であるそうです。

徳川家康
徳川家康

忠勝の血筋は受け継がれているのだな。

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どうする家康/本多忠勝を演じる山田裕貴さんはどんな方?

「どうする家康」で、大注目の本田忠勝役を演じるのは、若手実力派俳優、山田裕貴(やまだゆうき)さんです。

1990年生まれ、名古屋市出身。

お父様は中日ドラゴンズ、広島東洋カープで活躍した山田和利さんです。

裕貴さん自身も中学校まで野球をやっていましたが、プロまでのレベルではない、と俳優への道を進まれたそうです。

注目されたのは、「海賊戦隊ゴーカイジャー」のジョー役で、端正な顔立ちが、ストイックで寡黙なジョーの雰囲気に合っていたということです。

それからも活躍は続き、映画「燃えよ剣」では、15代将軍徳川慶喜、フジテレビ「志村けんとドリフの大爆笑物語」では、主演の志村けんさん役を見事に務められています。

朝ドラちむどんどんにも出演し、月曜日の24時からはオールナイトニッポンも!

日経トレンディには「今年の顔」に選出されたこともあり、2022年のエランドール賞では、新人賞を受賞されています。

そして大河ドラマでは、この大役、見逃せません。

今を時めく俳優、山田裕貴さんの本多忠勝役は大河ドラマの歴史に残ることでしょう。

徳川家康
徳川家康

ううむ、負けていられないのかも…。

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どうする家康/本多忠勝ってどんな人?まとめ

2023年の大河ドラマ、「どうする家康」の中でも重要な役割、徳川四天王の本多忠勝。

逸話の数々に演じる山田裕貴さん、すごいことになるでしょう。

  • 本多忠勝は、徳川四天王のひとりであり、戦国最強の武将の一人と言われている。
  • 57回の戦いでかすり傷ひとつ負わず、長槍と鹿角の兜、数珠をかけて戦場を駆け巡る姿は敵に鬼と怖れられ、武田,織田、豊臣すべてに絶賛された。
  • 三河の一向一揆、三方ヶ原の戦い、伊賀越えの家康三大ピンチをすべて共に切り抜けている。
  • 三重県桑名藩の祖と敬われ、幕府が開かれてまもなく死去、家も繫栄している。
  • 演じるのは山田裕貴さん、今最も勢いのある俳優さんのお一人。
徳川家康
徳川家康

忠勝とともに、生き抜くのだ。

徳川四天王についてはこちら。

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