2023年大河ドラマは「どうする家康」。
徳川家康という人については、名前はもちろん知ってる、でも実は家康自身がどんな人なのか、ましてやどんな家臣が彼を支えていたのか、などはほとんど知られていません。
家康は過酷な体験も多々重ね、何度もピンチに襲われて命も危険にさらされ、けっして順調に天下をとれたわけではありません。
そんな家康とともに生き抜いてきた家臣団にはどのような人々がいたのでしょうか。
家康にはリーダーとしての素質が備わっていたのでしょう、優れた人物が家康を支えていきます。
中でも徳川四天王といわれた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政は最強の家臣たちとして、家康にとってなくてはならない存在となっています。
今回はその中で一番年若い、井伊直政について書いていきたいと思います。
直政にも感謝しかないかも…。
どうする家康/井伊直政って誰?
井伊直政は、四天王の中でも最年少、そして徳川家康の天下取りの最大の功労者ともいわれています。
どうする板垣李光人
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) May 13, 2022
・役柄紹介を読んで面白いと感じたところは?
・松本さん演じる“殿”に一言!#板垣李光人 #井伊直政 #どうする家康 pic.twitter.com/JXmeRmIqmR
徳川四天王の一人にして最年少の井伊直政は、おんな城主直虎に育てられたおひと。
家康の小姓となり、文武両道、絶世の美青年、モテるし、態度は傲慢不遜とも言われました。
元祖ゆるキャラのひこにゃんは、彼の領国彦根藩は彦根城のキャラクターだし、赤い鎧の「井伊の赤ぞろえ」は勇猛さで怖れられました。
幕末まで徳川家を支え続けた井伊家の祖、井伊直政についてさらに詳しく見ていきましょう。
そんな偉そうなところも奴のいいところなんだが。
どうする家康/井伊直政って何をした人?
家康に仕えるまで
おんな城主直虎に育てられ、井伊家をゆだねられていた直政。
井伊家は一時期断絶しますが、直虎らの尽力によって、直政は14歳から家康に仕えることになります。
家康の小姓として、家康の寝所に送り込んだ武田勝頼の間者を討ち取ったともいわれ、武田との初陣でも活躍しています。
勇気もあり武士としての実力もあり、所作も優雅で家康も見惚れるほどの美少年であった直政は、家康のお気に入りとして家臣団の中での地位を上げていきます。
しかし美貌と所作で人を魅了し、実力もあるものの物言いが不遜な直政は家臣団の中での評判は芳しくなく、戦場で「醬油をくれ」と言ってしかられたり、四天王の一人榊原康政には、あいつを斬ってやると言わせるほど一時期は憎まれていたとのこと。
榊原康政とは、四天王の長老酒井忠次のとりなしによって話し合いが取り持たれ、そこでお互いに対する誤解も解けて生涯の大親友となったのです。
忠次、ありがとう。中での争いは避けたいし。
直政、家康のピンチを救う
直政は22歳で元服し、さあこれから、というときに大ピンチに見まわれます。
本能寺の変が起こり、30人程度の家臣を連れてちょうど京都に遊びに来ていた家康は、光秀軍や落ち武者狩りに狙われながら、三河に脱出することになるのです。
家康の生涯最大の危機「神君伊賀越え」です。
追腹を切って信長の後を追う、と弱気の家康を励ましてなんとか生き延びようとする家臣たち。
のちに直政は「われらは34人であり、少なくとも200人以上の敵を倒した」と語っているので、まさに危機一髪、死に物狂いであったことがよくわかります。
堺の商人茶屋四郎次郎や伊賀の忍者たちを取りまとめていた服部半蔵らの助力があったとはいえ、助かったのは家臣団の力と家康の運の強さがあってこそでしょう。
家康の側近たちということで四天王も同行していたし、まさに徳川家存亡の危機だったのです。
秀吉ママも魅了する
そんな直政は秀吉からも一目置かれます。
信長の死後、家康を懐柔しようとする秀吉は母の大政所を人質として家康のもとに送り込みます。
その大政所のもてなし役を務めたのが直政で、彼は大政所を脅すようなことはなく、丁寧にもてなしました。
その態度と美貌に大政所と侍女たちははすっかり直政ファンになり、大阪に帰るときも直政を警護役に指名したほど。
秀吉から徳川家臣の中で直政だけ高い官位を与えられたのは、武勇や政治的手腕を評価された、のもあるでしょうが、大政所のお気に入りとなったという部分も侮れないのでは。
井伊の赤備え、関ヶ原の戦い、その後
秀吉と家康の戦い、小牧・長久手の戦いから、直政は全身赤の鎧できめた軍勢「井伊の赤備え」で出陣、直政の戦う姿から井伊の赤鬼、と怖れられました。
この全身赤の揃えは武田家の猛将山形家のものを引き継いだとのこと。
直政は勇猛なだけではなく交渉術に長けていて、秀吉亡き後多くの武将を徳川方に寝返らせることに成功します。
秀吉の参謀であった黒田家はじめ、小早川秀秋に裏切らせたのも直政の策といわれています。
しかし、軽装備でかすり傷一つ負わなかった本多忠勝と違い、重装備でありながら直政は戦で度々けがを負っています。
関ヶ原の戦いでも、東軍を突っ切って決死の逃避を試みた島津軍を追撃しましたが、足を撃たれて落馬します。
大けがを負いましたが、それでも戦後処理や幕府の足元を固めるために力を尽くします。
西軍の大将であった毛利家や島津家がその後も大名として存続し、徳川家に反旗を翻すことのないように画策し、真田丸の真田昌幸・幸村親子の助命もしています。
しかし、関ヶ原で受けた傷は深く、その傷がもとで42歳の若さで亡くなってしまうのです。
若い直政には徳川家をもっと支えてほしかった…。
どうする家康/井伊直政の家族や子孫は?
直政は亡くなる前に彦根藩18万石を与えられます。
石田三成の所領であったところで、この時代の交通の要所琵琶湖畔にあり、都の入り口でもあるという西国や朝廷の監視役をも兼ねた、大変重要な場所になります。
直政は若くして亡くなりましたが、井伊家は幕末まで幕府を厚く支える役割を全うします。
直政の死後、彦根城を築いて30万石の大名となります。譜代大名でこれだけの石高の藩はそうそうなく、幕府から井伊家への信頼の厚さがうかがわれます。
井伊家はその後改易や転封に一度もあわず、幕末まで彦根藩主として存在します。
譜代大名筆頭として多くの老中・大老職も出し、もっとも有名なのは幕末に安政の大獄を行って、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼。
藩主になるはずではなかった彼は穏やかで聡明な人物であったとされています。
大政奉還後は彦根藩知事となり、伯爵に列せられ、いまでも井伊家の子孫の方が家を継いでいらっしゃいます。
幕府において井伊家は常に重要な立場にいてくれた
どうする家康/井伊直政を演じる板垣李光人さんはどんな方?
勇猛果敢で知的で傲岸不遜な絶世の美青年、そんな井伊直政を演じるのは板垣李光人さん。
いまや大注目の若手俳優さんです。
🏆2023年ネクストブレイクランキング
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) February 8, 2023
男性俳優編
1位 板垣李光人
2位 細田佳央太
3位 森本慎太郎 SixTONES
4位 前田旺志郎
5位 市川染五郎
6位 渡邊圭祐
7位 大西流星 なにわ男子
8位 西畑大吾 なにわ男子
9位 大橋和也 なにわ男子
10位 小関裕太
✍推しコメント&世代別結果https://t.co/aSvVVpqZdl pic.twitter.com/D19ad3YXYc
板垣李光人(いたがき・りひと)さんは2002年生まれで山梨県出身です。
2歳よりモデルをはじめ、すでに大河ドラマや仮面ライダーをはじめ、多数のドラマや映画に出演し、役柄も様々。大河ドラマでは、「晴天を衝け」で、徳川慶喜の弟で、渋沢栄一らとともにパリに赴く徳川昭武役で注目を集め、その前にも「花燃ゆ」に出演しています。
美しい顔立ちとたしかた演技力で高い評価を得る一方、幅広い趣味で俳優以外の活躍もされています。
メイクやイラストなどの世界でも活躍中。
2023年一押しの活躍が期待できる俳優さんが井伊直政とは、出演が待ち遠しいですね。
徳川家第一の功臣ともいわれる直政に会えるのが楽しみだ
どうする家康/板垣李光人さん演じる井伊直政ってどんな人?まとめ
大河ドラマ「どうする家康」で最重要家臣となる徳川四天王の中でも最年少であり、大きな活躍をする井伊直政、ドラマを彩ってくれること間違いなしですね。
- 徳川四天王の一人井伊直政は、おんな城主直虎に育てられ、井伊家再興の望みを託されて家康の小姓となる。
- 勇猛果敢で頭脳明晰、傲岸不遜な絶世の美青年という垂涎のキャラクターの持ち主で、四天王の一人榊原康政とは不仲を経て一番の親友となる。
- 家康の最大のピンチ神君伊賀越えで活躍し、秀吉の母にも気に入られて高い官位を得、戦いにあっては「井伊の赤揃え」の中の「井伊の赤鬼」として恐れられた。
- 関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで亡くなるが、井伊家は交通の要所でもある彦根藩30万石を治め、江戸幕府の中でも高い地位にあった。
- 井伊直政を演じるのは2023年一押しの俳優さんと評判の高い板垣李光人さん。
直政の活躍、楽しみにしているぞ!!
徳川四天王についてはこちら。
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