穏やかな一年の始まりが
このような災害や悲しい事故とは。
一日も早く復旧に向かうことを
祈るのみです。
被災地のみなさまや
つながりを持つ方々の
ご心労を思うと胸が痛みます。
残念なことではありますが、
災害に見舞われて
関心が高まると、その地域のことを
知ることができる機会にも
なり得ます。
今回の中心地域能登半島について、
簡単にはなってしまいますし、
ご存知の方にはいまさらかも
しれませんが、
ご案内を。
能登半島は、石川県の北部、
日本海に出ている半島で
形が独特なことから
県の形としても覚えやすいです。
羽咋市、羽咋郡(宝達志水町、志賀町)
七尾市、鹿島郡中能登町、
輪島市、珠洲市、
宝寿郡(穴水町、能登町)
人口は9市町村合わせて
21万人ほど。
「のと」の由来は一説には
アイヌ語の半島、突起を
意味する「ノット」からだと
言われていますし、
豪族「能登」氏がいたことから
そう呼ばれるように
なったとも。
(諸説あります)
6000年前の縄文時代から
人が住んでいたことがわかっていて、
各地と交流していたことも
確認されています。
能登国は1300年の歴史を持ち
江戸時代には北前船の
(北海道と大阪を日本海ルートで
商品を売買しながら航行していた
商船群。
明治まで日本の海は日本海側が中心)
拠点であり、大変栄えていました。
綺麗な海を見たい、
美味しい魚介類を食べたい、
ゆったりとした自然に癒やされたい、
静かに過ごしたい、
伝統文化に触れたい、
現地の人とも交流したい、
それでいて時間をかけずに
行けると良い。
そのすべてを満たす場所として、
能登に魅力を感じる人が
多く訪れてきました。
急斜面に広がる美しい棚田の
白米千枚田(しろよねせんまいだ)は、
急斜面に1004枚の棚田が
広がり、栽培は手作業。
空も海も青く、棚田は緑に輝き、
夕陽の時間にはすべてが
茜色に染まる。
国連の「世界農業遺産」に
「能登の里山里海」が指定されていて、
伝統的な農林漁法、
伝統技術、景観、文化、
生物多様性において
未来に引き継いでいきたい場所として
国際的に認められています。
珠洲市には
「えんむすびーち」と名付けられた
悲恋の舞台、恋路海岸と
軍艦島と呼ばれる軍艦島を
(今回の地震で形が変わったそう…)
結ぶ海岸線は、
縁結びの聖地とされている
場所があります。
羽咋市の
千里浜なぎさドライブウェイは
日本で唯一、
普通の車で走れる海岸。
電車で楽しみたい能登は、
豪華な内装の「花嫁のれん号」や
里山里海の風景を
ゆったり味わえる
「のと里山里海号」で。
美味しいものを
味わいたかったら、
現地でしか食べられない魚介類も
のっている
「能登丼」は外せない。
日本三大朝市のひとつ、
輪島の朝市は奈良時代から
開かれていて、
お店の人たちとのおしゃべりを
楽しみつつ、
買った魚を持ち込んで調理して
もらえたり、
自分で焼いたり、
そうでなくても美味しい朝ご飯を
提供してくれる店があります。
食べ歩きも楽しいけれど、
鳶にご注意。
そして、伝統工芸も多岐にわたります。
貿易の要所であったことから、
全国で求められたのでしょう。
一番有名なのは、
漆器の輪島塗。
漆器の中でも高級であり、
輪島で採れる良質の土と
漆を合わせて使います。
職人による完全分業制が
特徴であり、
それぞれの職人が自分の持ち場の
技術を最大限に高め、
それが合わさることにより、
美しくきめ細かい
輪島塗が完成するのです。
焼き物としては、
一時期断絶したものの、
昭和になって復活した
珠洲焼。
黒や青灰の独特で他にはない
色合いが好まれています。
そして、七尾市の和蝋燭。
ハゼやヤシといった
植物を原料とし、
繊細な絵付けが魅力です。
和蝋燭はロウが垂れにくく、
煙もススも少なく、
炎が消えにくくて大きくて、
柔らかいのです。
他にも、2000年の歴史を誇り、
昭和には全国一の生産をあげた
麻織物「能登上布」、
巨大な御神灯が目を引く
輪島キリコ祭り、
能登にしかないものが
いくつもあります。
そんな能登半島ですが、
過疎化、高齢化が
進行しています。
さらに、北陸新幹線の開通により
能登を訪れる観光客が激減し、
輪島の朝市は新幹線開通後
来場者が4割減少しています。
新幹線で金沢にやってきた
観光客は、金沢にしか
滞在しないことが
多いのです。
それまでは富山空港、小松空港、
能登空港に空路でやってきて、
金沢とともに
能登に来るルートが
一般的でした。
空路に比べ、時間がかかることに
加えて、
直接金沢に行けることに
なったのが、大きな要因と
されています。
さらに、今回の地震で
朝市が焼け、多くの家屋が倒壊し、
道路が裂けたりしていることで、
今後の能登についても
懸念が広まっています。
まだまだ被害の全容は
わかっていませんが、
これを機に、
能登を見て、能登を知って
その魅力を再確認し、
復旧後の能登半島が
さらに素晴らしい場所に
なることを祈ります。
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