日々の社会科:こけしで癒やされる、東北伝統工芸

日々の社会科

こどもが、
見てわかるような絵を
描き出すようになると、
頭から手足が出ている頭足人と
呼ばれるものや、

こどもによっては
頭に身体が
ぼん、とついているようなものが
描かれるようになる。

「顔」がしっかりついている
人と認識できるものは、
意識せずとも
どこかで安心できるものなのかも
しれない。

こけしという伝統的工芸品は、
丸くて大きな頭に
穏やかな表情、
シンプルで持ちやすい
胴体から、
長く広く親しまれてきた。

人形としてのこけしは
安土桃山時代あたりから
現在の宮城県を中心に
広まってきたと考えられているが、
ルーツは奈良時代と見られている。

奈良時代、大仏を建立した
聖武天皇の娘、
称徳天皇
(もう一度帝位についたので孝謙天皇とも)

はじめは従兄の藤原仲麻呂を
重用していたが、
後に僧の道鏡を信頼し、
彼に傾倒していく。
日本のラスプーチンとも
呼ばれている人物。

藤原仲麻呂は道鏡排斥を訴え、
却って冷遇されてしまい、
反乱を起こす。

その反乱で亡くなった
多くの人々を弔い、
鎮護国家を祈念するために
天皇は
「百万塔陀羅尼」という
世界最古の印刷物を
作る。

それは、高さ20センチほどの
小型の塔に、
100万巻印刷した陀羅尼経を
十の主要な寺に納めると
いう、壮大なもの。

仏教を広めようとする
道鏡の提案だったという…。

もちろんこれは
小さな塔であって
こけしではないが、

百万もの塔を作った
ろくろの技術が広まり、
東北地方でこけしが
作られるようになったと
考えられている。

東北地方で12系統、
中でも宮城県では5系統の
こけしが作られている。

前髪がついて花の模様の
代表的な鳴子こけし、
切れ長の目にシャープな柄の
遠刈田系こけし、
胴が細く長い作並系こけし、などなど。

こけしは
江戸時代末期から
明治にかけて、
お土産、こどものおもちゃとして
人鬼を得るものの、
大正時代に入ると
キューピーなどに押されて衰退。

だが、昭和初期に
民芸品、美術品として見直され、
戦後の高度成長期の
温泉旅行ブームで売れ、
2010年代にも
若い女性たちの間で
人気が高まり、
生き延びてきた。

今ではこけしの産地も増え、
キャラクターをこけしに
したものが現れたり、

日本人気で海外への
輸出も増えたり、
伝統的かつ新しいものとして
見直されている。

こけしグッズが
作られたり、
倒れやすい作並系こけしに
倒れると点灯する機能をつけたり、

職人たちの技を
継承できるように
陰日向で支える動きが出ている。

宮城伝統こけしでは、
こけし職人は分業ではなく、
原木の木取りから仕上げまで
すべて一人で行っている。

伝統的でありながら、
職人個人の技も
光るものなのである。

こけし、という名前の由来は
諸説あるものの、
木でつくった芥子の人形、と
いうのが有力であるらしい。

現在では表記は
ひらがなの「こけし」に
統一されている。

どこか観音様を思わせるような
穏やかで変わらぬ表情に、
親しみやすいその形、

こけしが長く愛されてきたのも
その姿形に
安心できるからかもしれない。

宮城や山形では
こけし祭りも行われていて、
こけし三昧な休日を
過ごすのも、良いかもしれない。

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