日々の社会科:横浜・西洋館にいらっしゃいませ

日々の社会科

横浜、というと昨今では
みなとみらい地区の絵図が
多用される印象ですが、

みなとみらい地区が発展してきたのは
1989年の博覧会から。

横浜といえば、
本来は山手の閑静な街並み。

そちらを歩いてみましょう。

みなとみらい線、元町・中華街駅から
緑の中のフランス山を登ってもよし、
体力的にきつい方は
エレベーターでアメリカ山公園へ
登ってしまえばあとはらくちん。

「港の見える丘公園」へ。

まさに、海を一望できる公園。
瀟洒な大佛次郎記念館の前は
手をかけられた庭園、
この時期は秋の薔薇が綺麗です。

幕末にペリー、ハリスがやってきて、
開国、小さな漁村だった
横浜は開港し、
外国人を迎え入れる表玄関と
なりました。

その奥にあるイギリス館は
英国領事館だった建物、
山手111番館はアメリカ人の邸宅。

港の見える丘公園から
イギリス館、山手111番館を
見学し、
山手ゲーテ座の煉瓦の
建物を左手に、
横浜地方気象台を 
右手にすると、
正面が外人墓地。

ゲーテ座はかつて
西洋人による生の西洋演劇に
触れられる唯一の劇場(シェイクスピアなど)と
して大きな影響を与えてくれたところ。

関東大震災で崩壊し、
現在は岩崎学園(三菱ではない)が
再建して服飾などの
博物館になっています。
見学すると長そうなので外見だけ。

地方気象台は1927年建築、
アール・デコなんですね。

山手地区は関東大震災で
ほぼ壊滅し、現在残るのは
その後に建てられたもの。

開放されている中には
崩壊したものの一部を使って
再建したものもあります。

そして、外国人墓地。
はじめは、ペリーとともにやってきた
水兵が亡くなってしまい、 
要請を受けて高台に墓地を
作ったことが始まり。

生麦事件くらいしか
歴史では学びませんが、

横浜市の井土ヶ谷や鎌倉でも、
イギリス人が
尊王攘夷に取り憑かれた浪人に
斬られて殺される事件が
起こっています。

彼らや、その後貿易を始めて
最終的に日本に骨を埋めた
4000人ほどが、思い思いの墓に
葬られています。

幕末から明治にかけては
イギリス人が多い?

アメリカが開港させたのに?
アメリカではこのあと
内乱、南北戦争が起きていたので
余裕がなく、
最大の貿易相手はイギリスと
なったわけです。

外人墓地を眺めながら
歩みを進めると、
築114年の山手資料館や
山手聖公会教会を眺めることができ、
えの木ていでひと休み。

えの木ていは1927年に
建てられた可愛い建物を
使ったカフェ。

最近では、高橋一生さん主演の
「岸辺露伴は動かない」のロケ地に
なりました。

手前のレストラン、山手十番館も
使われておりました。

えの木ていの周りには
緑豊かな元町公園があり、

集合住宅だった山手234番館、

エリスマンさんのエリスマン邸、

テラス付きのパーティールーム?や
子ども部屋がおしゃれすぎる
貿易商のべーリックさんの
べーリックホールと3つの
洋館があります。

べーリックホールではウェディングも
できます、素敵だろうなあ。

横浜西洋館はすべて
見学無料。

秋はハロウィン、冬はクリスマスの
飾り付けがしてあって
楽しめます。

靴を脱ぐところが多いので
履き物は着脱しやすいものが
いいですね。

疲れていたら、元町公園を下って
終わりにしてもよいのですが、

頑張って15分ほど歩いてみましょう。

優雅な邸宅やカトリック山手教会、
フェリス女学院を見ながらだと
あっという間に旧山手68番館、
ブラフ18番館、外交官の家。

横浜西洋館の写真で
よく見るのはおそらく
「外交官の家」、
まさにザ・洋館。
重要文化財でもあります。

西洋館のうち3館に
カフェがあります。

外交官の家のカフェは
ゆったりしていて、
庭やみなとみらいの風景を見ながら
優雅なひとときを過ごせます。

一息ついたら
のんびり山を下ると、JR石川町駅。
元町商店街のお散歩もいいし、
道の向こうは中華街。

お腹も空いてきたし、
お土産も買いたいかも。

もうしばらく、
横浜をお楽しみくださいね。

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