鎌倉殿の13人/烏帽子を取らないのはなぜ?

鎌倉殿の13人

大河ドラマ鎌倉殿の13人がどんどん面白くなってきています。

馴染みの少ない時代のため、風俗についても疑問に思うことが少なくありません。

その中でも戦国時代の武将には見られない、烏帽子を被りっぱなしの姿が気になります。

検証してみましょう。

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鎌倉殿の13人でなぜ烏帽子をかぶっているの?

教えて下さるのはこの方、鎌倉殿の13人で風俗考証をされている佐多芳彦さん。

コラムで語ってくださっていますが、こちらでまとめてみました。

烏帽子はずっとかぶっています。

元服した時からかぶり、人前では決して外しません。

元々は貴族の文化ですが、武士たちにもこの風俗は浸透していたようです。

貴族の烏帽子といえば、長いものが思い浮かびます。

貴族がかぶっているのはそれですし、武士でも頭領は長いものをかぶっています。

ドラマでもそう思ってみると、わかりますので興味深いです。

ただし、それ以外の武士たちは普段の生活に不便であるということもあり、畳んだ折烏帽子(おりえぼし)や、侍烏帽子(さむらいえぼし)をかぶっていました。

畳んだところに髻(もとどり)を入れ込んでいるので、動いてもほぼ取れないようになっています。

兜をかぶるときにも烏帽子は外しません。

鎌倉殿の13人では、二つのタイプの兜を用意しているそうです。

兜に穴が開いていて、そこに烏帽子を端と髻の上が出るタイプと、烏帽子を髻の上からしっかり紐で結んでいるタイプを用意しているそうです。

馬に乗っても取れないようになっているんですね。

北条義時
北条義時

烏帽子をかぶるのは当然のこと。

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烏帽子を取らないのはなぜ?

鎌倉殿の13人で、武士たちが家の中でも烏帽子を取らないのは、当時は、人前で頭頂部をさらすのはこの上なく恥ずかしいこととされていたからです。

もし人前で烏帽子が取れてしまうようなことがあれば、しばらく出てこられないほどのダメージだったそうで、下着が取れてしまう感覚だったのかもしれません。

800年前はそのような文化だったのですね。

大河ドラマでは、頼朝も寝ている時でも烏帽子はかぶっていますね。

北条義時
北条義時

烏帽子を取るなんてなんて恥ずかしいことを言うのだ!

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烏帽子はいつまでかぶっていた?

鎌倉殿の13人で烏帽子に不思議な感覚を持つのは、戦国武将や江戸時代といった、おなじみの時代の武士たちは烏帽子をかぶっていないからです。

つまり、風俗として徐々にすたれていったということですね。

この年からやめた、という線引きはないようですが、もともと貴族の文化ですので、武士政権が続くことによって「いらないのでは」と、彼らは気付いてしまったのですね。

室町時代の終わりごろには、朝廷に上がるときのみ烏帽子をかぶり、日常ではかぶらなくなっていました。

それでも武田信玄の肖像画では、折烏帽子と直垂という正装スタイルのものが残っていますが、織田信長の肖像画で有名なものは、直垂の袖がないものに月代を剃ったヘアスタイルですね。

そのあたりで、かぶらないという形がはっきりしてきたのかもしれません。

北条義時
北条義時

何?烏帽子をかぶらない武士がいるのか?

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鎌倉殿の13人/烏帽子を取らないのはなぜ?まとめ

鎌倉殿の13人でなんで家の中でも烏帽子を取らないのはなぜだろう、という疑問が解消されたでしょうか。

衣装や風俗に注目するのもドラマの楽しみ方のひとつですね。

  • この時代の武士は朝廷文化の影響で、日常でも烏帽子をかぶってかぶっていた。
  • 頭領は長烏帽子、それ以外のものは折烏帽子や侍烏帽子。
  • 兜をかぶるときにも烏帽子の上から。
  • 人前で頭頂部をさらすのは非常に恥ずかしいこととされていた。
  • 室町時代が終わるころには、武士は烏帽子はかぶらなくなっていた。

佐多さんのTwitterコラムは、全3回ありました。全部まとめたのはこちらです。

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北条義時
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