2023大河ドラマ、どうする家康。
家康をめぐる人間模様が興味深いですが、家康の女性関係も気になります。
正室は2人、側室は20人以上ともいわれ、正しい人数は定かではありません。
家康の好みの女性は、身分は高くなく、美女でもなく、健康で明るく賢いことであったようです。
しかも、出産経験のある未亡人も少なくありませんでした。
身分の高い美女を好んだ秀吉とは対照的といわれています。
この記事では家康の正室は誰か、側室で寵愛されたのは誰か、演じるのは誰かをわかるようにします。
演じるのは誰か、に関しては出演者が発表され次第、順次アップデートしていきますね。
女性も中身が大切!
どうする家康/家康の正室は誰?
正室、つまり正妻です。
家康には生涯二人の正室が存在しました。
一人は最初の妻「築山殿」で、もう一人は秀吉の妹、朝日姫です。
どうする家康/最初の正室【築山殿】
家康の最初の妻は人質として滞在していた今川家の当主、今川義元の姪にあたる瀬名姫(築山殿)。
これまでの歴史小説やドラマでは、築山殿は家康より10歳くらい年上で、性格も合わない冷たい夫婦関係だったというものが多く見受けられましたが、今回は雰囲気が違う様子です。
【新たな出演者発表!】
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) November 29, 2021
家康を一番、知り尽くした女
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瀬名/築山殿
⌎ ⌏#有村架純 (大河ドラマ初出演)
家康の正室。今川家家臣・関口親永の箱入り娘。太陽のように明るく、朗らか。家康の初恋の女性で、仲むつまじい夫婦となる。#どうする家康 pic.twitter.com/PbbUpqHmUD
家康の初恋の相手で太陽のように明るく、仲睦まじい夫婦になるとのこと。
楽しみな展開で、二人の間には嫡男信康も生まれますが、残念ながら悲しい別れが待っていることになりそうです。
瀬名姫と添い遂げられて嬉しさ満開である。
どうする家康/第二の正室【朝日姫】
築山殿が亡くなってから、家康は正室を置くことはせず、生涯御台所、と呼ばれる人はいないかと思われましたが、意外なところから二人目の正室を迎えることになります。
それは、織田信長亡き後に天下人となった豊臣秀吉の妹、朝日姫(旭姫とも)です。
秀吉は信長の家臣たちを抑え、支配者として躍り出ますが、家康とはそれぞれ信長の遺児を立てて小牧・長久手の戦いで一戦交えることになります。
この戦いは家康が擁立した織田信雄が秀吉に説得されて講和が成立し、決着はつきませんでした。
秀吉はなんとか家康に屈してほしいと妹の朝日姫を家康の妻として差し出します。
このとき、家康45歳、朝日姫44歳で、朝日姫は長年連れ添った夫と離縁させられています。
政略結婚にしては、かなり無理のある縁組と思われます。
二人の関係がどう描かれるのか気になりますが、家康は彼女を丁重に扱ったようです。
朝日姫は嫁いで2年後に「大阪の母の具合が悪いので見届けたい」ということで、大阪に里帰りし、その後自分が体調を崩して、亡くなります。
お互い思うところある婚姻であったな。
どうする家康/多くの側室たち
家康には多くの側室がいて、多くの子を持ちました。
名より実、身分より健康や性格、能力を側室選びの基準にしたようです。
20人以上いたといわれる側室たちの中から、特に名前の残っている女性たちをご紹介します。
どうする家康/愛されなかった?【お万の方】
お万の方と呼ばれる側室で、次男の結城秀康の母に当たる女性です。
ただ、この方は家康からの愛情はほぼ受けていない様子です。
もともと正妻の築山殿、瀬名姫の侍女であったのを、家康のお手付きになったといわれています。
築山殿は激怒して、彼女を裸にして木にくくりつけたという話も残っていますが、それは作り話という見解が主流のようです。
このお万の方は双子の男児を出産します。
しかしこの時代、双子や三つ子は「畜生腹」といって忌み嫌われていました。
双子のうち一人は生まれてすぐに養子に出され、残った秀康は、長男信康の死後、嫡男になる可能性がもっとも高かったにもかかわらず、秀吉のもとに人質として差し出されることになります。
そもそも、お万の方は側室という身分すら与えられず、子どもが生まれても家康は見に来なかったともいわれているくらいですので、愛情は薄かったのでは、と推測されていますが、ここはどう脚色されるのか楽しみであります。
秀康は関ヶ原の戦いで功績をあげ、越前に城を持ちますが、34歳の若さでなくなり、養子に出したもう一人も31歳で亡くなりました。
お万の方は、息子たちの菩提を弔いながら72歳まで生きることになります。
大河ドラマではどのように描かれるのか、気になるところです。
お万については、えっとそのー。
どうする家康/秀忠の母【お愛の方】
「西郷の局」と呼ばれた女性で、広瀬アリスさんが演じます。
【チーム家康、出演者発表!】
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) April 15, 2022
激動期の家康を支えた
二代将軍・秀忠の母
於愛の方:#広瀬アリス
読書好きで極度の近眼。ユーモラスな行動が周囲に癒やしを与える。ガマンが続いていた家康の心に明かりを灯す、愛深き姫。実は夫を戦乱で亡くし、幼子を連れて側室となった苦労人。#どうする家康 pic.twitter.com/oJV8YU7nZZ
美人で温厚な人柄で、家臣や侍女たちにも好かれ、家康にくつろぎを与える存在だったようです。
お愛の方は夫に先立たれた未亡人であり、戦死した前の夫との間に子どももいました。
そして彼女は二代将軍となる秀忠と井伊直政の娘婿で清洲藩主となる松平忠吉の母となります。
彼女は極度の近眼でもあり、それもあってか盲目の女性に施しを与えて生活の面倒を見ていたといわれています。
慕われたお愛のかたでしたが、若くして亡くなり、その死を悼んで多くの盲目の女性たちが祈りをささげたそうです。
美しく優しく温かく薄命であったお愛の方、ずっと家康の心の中で生き続けていたに違いありません。
お愛に会えてしあわせであった。
どうする家康/【お勝の方】
家康晩年に近い頃の愛妾、お勝の方、お梶の方とも呼ばれている女性です。
家康とは年齢が36歳も違う、若い側室になります。
子孫を残すことも重要視して、出産経験のある女性を側室に迎えていた若かりし頃の家康とは違い、お勝の方が家康に出会ったのは13歳の時…。
家康もおっさんになると変わっていったのかもしれません。
そんなお勝の方、男装して関ヶ原の戦い、大阪冬の陣、夏の陣に同行しています。
戦場に連れていけるほど寵愛されていたのでしょうか。
さて、このお勝の方には有名なエピソードがあります。
ある時、家康が家臣たちとゆっくり語り合っていた時、ふと「この世で最も旨いものは何か」と、問いかけました。
それはあれだこれだ、とわいわい盛り上がる家臣たちと、笑いながらそれを家康の隣で聞いているお勝の方。
家康は傍らの彼女にも「そなたはどう思うか」と尋ねてみます。
お勝の方の答えは「塩でございます。」、なるほどと唸る家臣たちですが、家康はさらに問います。
「では最も不味いものは何か。」
お勝の方の答えは「それも塩でございます。」
こんなに美味しいものはないが、使い方を間違えるとこんなに不味いものもない。
そんなお勝の方の答えに、家康は「そなたが男であったなら、さぞかし素晴らしき大将になれただろうに」と惜しんだともいわれています。
また、お勝の方は大変数字に強く、財産を残すことに貢献したともいわれています。
お勝の方と家康の間には女の子が一人生まれるものの、幼くして亡くなり、その後彼女は家康の孫や息子たちの養育を受け持ち、彼らは立派に育つことになります。
若いながらも賢いお勝の方、家康好みであったようですね。
お勝の方の賢いところがまた魅力なのだ。
どうする家康/【阿茶の局】
最後に、家康の最愛の人といわれ、生涯にわたって初期の徳川家を支えた、文武両道の優れた女性と誉れ高い阿茶の局を紹介します。
彼女は、家康の正室築山殿(瀬名姫)が亡くなった年に家康と出会っています。
阿茶の局も未亡人であり、二人の息子がいる身でした。
長男は早くから2代将軍となる秀忠の小姓(身分の高い人の身の回りの世話をするもの)として仕えています。
秀忠の生母お愛の方が早世したため、阿茶の局は秀忠の養育も行うことになります。
阿茶の局はしかし、家康との間に子どもをもうけることはできませんでした。
にもかかわらず、家康の厚い信頼を得て側にいた優秀な女性でした。
彼女の役割はいくつかありましたが、家康が着用する装束の手配も任されていました。
今も昔も、自分がまとうものは相手へのメッセージとなり、駆け引きの場では大変重要なものとなります。
家康の思い、考え、相手の立場、相手が交渉してくるであろう事柄、そして相手方の衣装をすべて読み取ったうえで、ふさわしい装束を選び取る、というとても重要な役割を、絶大な信頼で任されていたのが彼女だというわけです。
馬術や弓矢の腕も優れていて、戦場にも武装して家康の側にいましたが、彼女が期待されている役割は、敵対している武将との仲介役でした。
もっとも有名なのは、大坂冬の陣においての(豊臣家が滅びたのはその後の夏の陣)豊臣秀頼の母、淀殿との交渉です。
大阪城側は淀殿の妹、常高院を交渉役とし、阿茶の局は大阪城に乗り込み、和議の会談に挑みます。
和平交渉は徳川方の思うように進み、その後の展開はご存知の通り、大阪城の堀はすべて埋められ、豊臣家は滅び、家康の天下がやってくるのです。
その時の阿茶の局について「阿茶の局という、女にめずらしき才略ありて…(中略)淀殿に対面して御和睦の事ども、すべて思召ままになしおぼえけるをもて、世にその才覚を感ぜざるものなし」と、絶賛されたものが残されています。
家康の死後も阿茶の局は仏門に入ることを許されず、秀忠を補佐することを求められました。
阿茶の局は秀忠の母代わりでもあり、秀忠の娘が天皇家に嫁ぐ際にも京都に上洛し、その一切を取り仕切ったといわれています。
秀忠亡き後は3代将軍家光からも手厚く扱われ、諸大名からの信頼も厚く、満ち足りた老後を過ごしたようです。
なお、同じようにその才能を愛されたお勝の方もいますが、阿茶の局はお勝の方より23歳も年上だったこともあり、二人は上手くやっていたようです。
こんな素敵な阿茶の局の活躍がみられるのが本当に楽しみですね。
優秀な女性は必須!
どうする家康/家康の妻たちは誰?まとめ
家康には多くの側室がいましたが、身分の高い美しいお姫様ではなく、自分の人生を彩ってくれる人柄や才能を持った女性たちが多かったことがわかります。
鎌倉時代から江戸初期においては、才能を活かして活躍した女性が何人もいたことがわかります。
家康の側室たちにもそれが見られます。
「どうする家康」で描かれる女性たちの姿も期待できますね。
- 徳川家康には2人の正室と20人以上といわれる側室がいた。
- 最初の正室は今川義元の姪瀬名姫(築山殿)、2人目は豊臣秀吉の妹朝日姫(旭姫)。
- 次男の結城秀康の母はお万の方であるが、史実では愛されなかった様子である。
- 2代将軍秀忠の母は西郷の局(お愛の方)、美しく温かい女性だったが、早世する。
- 晩年は若い側室を愛し、その中でもお勝の方は賢さで際立っていた。
- 最も信頼して愛したといわれるのが、秀忠の母代わりの阿茶の局で、その才覚で初期徳川家を支える存在であった。
彼女たちがいてくれなかったら、私も徳川家もなかった、感謝である。
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