2023年大河ドラマ「どうする家康」は、豪華な出演者でも話題を呼んでいます。
過去の大河ドラマ出演者はもとより、主演俳優の方もいらっしゃる、それが本多正信役の松山ケンイチさん。
策を立てる能力があり、態度はえらそう。
三河一向一揆の際には一向一揆側の軍師としてこともあろうに家康を狙撃する!
そして家康に諫言して死を覚悟するも、追放されて三河から出てゆく…、さてこれからどうなるのでしょうか。
松山ケンイチさんは、大河ファンには平清盛の好演も評判高く、今回も松本潤さんに迫る勢いがあるのでは?と懸念されるほど。
その松山ケンイチさん演じる本多正信とはどのような人物なのか、見ていきましょう。
/#本多正信 役 #松山ケンイチ さん
— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) March 7, 2023
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❖ 自由で遊べる !? 演技、正信のキャラクター像とは
❖ 裏切りのシーン撮影前日、
正信と松山さんがリンク !?
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正信は…重要なんだな、これが。
松山ケンイチさん演じる本多正信って誰?
「どうする家康」の登場人物紹介においては、
「大久保忠世の紹介で登用されるが、うさん臭く無責任な進言をするイカサマ野郎。常識にとらわれない発想の持ち主で、悪知恵が働き、家康の小さな野心を刺激する。やがて天下取りに欠かせない男となる。」
と、まったく信用ならない怪しいやつ扱いです。
本多正信については、明確な資料も多くなく、逸話によるものが残されています。
ドラマではどのように脚色されるのか非常に楽しみです。
三河一向一揆で敵側につく
本多家(徳川四天王のひとり、本多忠勝とは遠縁)は徳川家の家臣で、鷹匠として仕えていたといわれています。
しかし、家康の人生三大ピンチのひとつ、三河一向一揆では一向宗側につき、家康と敵対しています。
「どうする家康」では、民の心や上に立つものがどうあるべきか、家康に堂々と言い放つ姿が、かっこいい,しびれた、と大評判だったようです。
家康が一向宗と和解したのちは、ドラマでは寛大な追放措置を取られたことになっていますが、出奔、逃げ出して三河からいなくなったとの見方も根強く残っています。
家臣団が割れたあの時は痛かった。正信の言葉は身に沁みた。
再び家康のもとへ
さて、そんな本多正信。
再び家康に仕えることになっているのですが、このあたりはわかっておりませんので、ドラマがどう描くかは自由、非常に楽しみであります。
この間どうしていたかは諸説あります。
信長に滅ぼされた松永久秀に仕えていたというのも一説です。
松永久秀は「徳川の侍は武のみの者が多い中、ひとり正信は剛にあらず柔にあらず卑にあらず、非情な器である」と語ったという話が残されています。
また、加賀にいて、加賀一向宗徒によるところ(一行宗徒による自治が信長に攻められるまで100年ほど続いた)にいたという話もあります。
詳しいところはわからないものの、これまた大久保忠世のとりなしで帰参がかなったとのこと。
本能寺の変の前には三河にいたということなので、家康に知恵を授けていたのかもしれません。
またドラマにも描かれていましたが、家中、とくに四天王からは受けが悪く、小狡いやつ、と忌み嫌われていたようです。
いろいろあったが、正信が戻ってきたのは朗報であった。
家康の懐刀となる
秀吉が天下を握ったころから、正信の存在感は増しているようです。
その手腕は様々に発揮されていくようですが、本能寺の変のあと、旧武田領を手に入れた家康が統治しやすいように、武田家の旧臣たちに領地を安堵するから徳川につくように、と呼びかけて穏やかに治められるようになったとのこと。
また、家康が秀吉の命で三河から関東に国替えになったときに大名として1万石を賜り、関東総奉行として、旗本・代官から農民まで統括する役割を負い,まさに江戸幕府の礎を築くことに貢献したのです。
関ヶ原の戦いでは2代将軍秀忠とともに行動します。
この時、上田城の真田昌幸・幸村親子との戦いにてこずり,秀忠は戦いに間に合いませんでした。
本多正信は上田城攻めをしないように進言したとも言われています。
関ヶ原の戦いののちは、しぶとく徳川に帰順しない島津家を説き伏せたり
真田昌幸らを容易に動けないようにしたり、陰に日なたに徳川のために働いています。
家康が大御所となってからは2代将軍秀忠を支え、老中となっています。
晩年の家康と正信はまさに「水魚の交わり」とされ、家康の好物は「佐渡殿、鷹殿、お六殿(正信、鷹、年若い側室)」と言われたほどのかかわりの深さ、親密度を見せていたようです。
家康の考えていることは正信には言わずともわかる、とされたほど。
そんな正信は家康が亡くなって49日めに後を追うように亡くなりました。
まさに、正信は盟友であった。
松山ケンイチさん演じる本多正信の家族や子孫は?
本多正信には、有能な息子本多正純がおりました。
関ヶ原の戦いで秀忠が遅れて間に合わなかったことについて、われらの責任であって、若殿に咎はないと声高に家康に訴え、秀忠は感動したとの逸話が残っています。
正純もまた家康の側近として務めますが、家康と父正信が没すると徐々に追いつめられていきます。
駿府の家康のもとにいた正純は江戸に戻りますが、居場所はありませんでした。
絶大な力を持っていた正信・正純親子はただでさえ大変な嫉妬を受け、慎重に行動していました。
正信は、所領は決して3万石を上回ってはいけない、と言い残し、正純もそれに従っていたといいます。
しかし、秀忠の側近たちは権力を持つ正純を警戒し、秀忠自身も平然と自分にものを言ってくる正純を疎ましくおもっていたといわれています。
正純は宇都宮城の改築などについて嫌疑を受け、改易になるものの、5万石を受け取ることも拒否したため、秀忠を激怒させて1000石のみに所領はなり、秋田に流されるのでした。
その後子孫は生き延びますが、本多姓は名乗ることを許されていないとのこと。
慎重を期した父に比べて、わきが甘すぎたのかもしれません。
正純までは面倒を見られなかった、すまぬ。
松山ケンイチさんについて
言わずと知れた名優松山ケンイチさんですが、これまでの略歴を。
1985年生まれ、青森県出身。2002年に俳優デビューして、実績を積んでいます。
注目を浴びたのは映画「男たちの大和」での演技。
役になりきる憑依型俳優として、その演技力は高く評価されています。
2012年には大河ドラマ「平清盛」で主演を演じていますが、これは自らどんな役があるのかNHKに問い合わせたところ、主役に抜擢されて大変驚いたとのこと。
その前年の2011年には8歳上の女優小雪さんと結婚しています。
二人で獣皮のアップサイクルブランドを立ち上げたことでも話題を呼んでいます。
2023年もたいがどらまをはじめとして連続ドラマ、映画と大活躍されています。
ほほう、見事な活躍ぶりだな。
松山ケンイチさん演じる本多正信とは?まとめ
これからどんどん重要度を増す、松山ケンイチさん演じる本多正信、楽しみでなりません。
- 本多正信は少なくとも祖父の代から徳川に仕えていて、鷹匠だったと言われている。
- 三河一向一揆では家康と敵対して三河を出ていく。
- 本能寺の変の前には再び家康に仕え、家康の懐刀として存在感を増していく。
- 家康が将軍職を退いてからは、秀忠の補佐としてその手腕を発揮する。
- 家康の死後49日目に亡くなり、息子の正純はやがて改易となる。
ありがとう、正信がそばにいてくれたからこその徳川だったかもしれぬ。
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