出雲阿国(いずものおくに)という名前は、日本史の授業で聞いたことのある方も多いと思います。
といっても、歌舞伎を始めたというだけで、詳しいことを解説されたことはないのではないでしょうか。
ゲームキャラとしても人気の出雲阿国、実際どのような人だったのか、簡単にまとめてみました。
出雲阿国ってどんな人?
古事記にある、天の岩戸の物語。
籠ってしまった天照大御神の気を引くために、神々は外で楽しげに歌い、踊る。
中でもアメノウズメの大胆な踊りに神々は大いに盛り上がり、笑い転げ、その声を聴いた天照大神はそっと戸を開けて覗いたために引き出され、天の危機は免れたという。
アメノウズメは芸能の神であり、日本初の踊り子、とも言われています。
ということは、賑やかでわい雑なものを楽しんで喜んで皆が騒ぐのは、実は古来からの日本人の性質なのかもしれません。
歌舞伎を興したといわれる出雲阿国。
室町時代、というより戦国時代が終わろうとしていたころの生まれ、活躍したのは江戸幕府ができてほやほやのころ。
出雲の国(島根県)の鍛冶屋の娘として生まれたクニ、出雲大社の巫女となり、出雲大社のための巡業を諸国で行い、その催しは大人気となります。
そして、一座を作って「かぶきおどり」巡業を始めます。
クニの一座はみな、異性装~男性は女装、女性は男装~をしていました。
とりわけ人気だったのは女装したクニの夫と男装したクニが茶屋遊び(遊女と戯れること)をするというもの。
その倒錯した色恋劇に、観客はトランス状態になり、最後は役者も客も一緒になって大盛り上がり。
クニの一座は大人気となり、それを真似したものはあっという間に全国に広がります。
宝塚の男役と歌舞伎の女形(衣装は揃えた方が良さそう)の共演で、最後はみんなで大騒ぎ、は楽しそうでもあります。
といっても、クニ一座のように芸能として観客を沸かせることは誰にでもできることではありません。
結局はただの春をひさぐ集団となってしまうことも少なくなく、幕府に風紀を乱す、と禁じられてしますのです。
みんな楽しんでいたのにね。
出雲阿国のあと、歌舞伎はどうなった?
幕府に禁止されたことで、残念ながら女歌舞伎は衰退していくことになります。
代わって人気が出たのは「若衆歌舞伎」。
女歌舞伎とともに行われてはいましたが、女歌舞伎が禁止されるにあたって、それを楽しんでいた人々が若衆歌舞伎になだれ込みます。
10代の美少年が歌い、踊り、さらにコントのような芝居に雑技も取り入れ、人々を楽しませるのです。
今のジャニーズや韓流のアイドル達を思い起こさせますね。
この頃からあり、人気となっていきました。
この時代、おおらかな部分もありましたから、若衆歌舞伎の彼らは、男性の相手にも女性の相手にもなります。
人気があるのはいいのですが、熱を上げすぎると推しを巡って刃傷沙汰になることもありました。
結局20年強で若衆歌舞伎も禁止されることになります。
そして、今のような成人男性による歌舞伎が行われるようになっていくのです。
出雲阿国はその後どうなったのか。
歌舞伎を作り出したクニがその後どうなったのか、はっきりとしていません。
クニは京都で亡くなったとも、郷里の出雲に戻ってそこで亡くなったとも言われています。
彼女は自分自身を生かした最高のエンターテイナーであり、まさか自分が始めたお楽しみ劇がその後400年も続く伝統芸能に昇華するとは思ってもみなかったことでしょう。
今も人々を喜ばせる芸能の在り方は、古事記のころから変わっていないのかもしれません。
それを形にしてくれたクニさんに感謝して、楽しんでいきましょう。
それはきっと、岩戸を開けて光をもたらしてくれるはず。
クニさんのおかげで歌舞伎が愉しめるのね。
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