鎌倉殿の13人で、山本耕史さん演じる北条義時の盟友、三浦義村。
かっこいいですね。
しかし、謀略渦巻くこの時代、彼は生き延びられるのでしょうか、そして三浦家はどうなるのでしょうか。
史実をもとにすると、三浦義村は、最後まで義時の盟友として生き延びます。
では、三浦家のその後はどうなるのでしょうか。
鎌倉殿の13人!三浦義村って誰?
\源平合戦クライマックス!/
— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) May 5, 2022
いよいよ壇ノ浦の戦いが描かれる #鎌倉殿の13人。
源氏と平家の最終決戦を前に、登場人物たちの兜・鎧姿をお届け!!
第18回「壇ノ浦で舞った男」
5月8日(日)
[総合]夜8時
[BSP・BS4K]午後6時#山本耕史 #三浦義村 #三浦党 pic.twitter.com/bacTQjcuIW
三浦義村は、桓武平氏の一族といわれる相模国の三崎荘(今の神奈川県三浦半島あたり)を
支配していた人々です。
義村の祖父義明は、保元・平治の乱で、頼朝の父源義朝に従って戦いました。
その縁もあって、伊豆に流された頼朝とともに立ち上がるのです。
義村の父、三浦義澄(佐藤B作さん)は、頼朝死後の13人の合議制の一員となります。
北条時政と三浦義澄はともに伊藤祐親の娘を娶っています。
二人は義兄弟であり、義時と義村は、従兄弟同士になります。
北条時政と三浦義澄の戯れが富士川の戦いの勝敗を決めた(水鳥の羽音に驚いて平氏が逃げた)という展開は面白かったですね。
そして、義村は義時の盟友として、傍らにあり続けます。
いつもどこかクールな視点を持って、さりげなく活躍している雰囲気ですね。
ただ、義時の妻八重さんの死について、罪悪感を持ちながら義時を支えていく、そのような展開も考えられますね。
義村は、大切な味方だ。
鎌倉殿の13人!三浦義村はどうなる?
史実としてありますので、はっきり言えます。
三浦義村は、生き延びます。
頼朝亡き後、13人の合議制となり、御家人たちによる凄惨な戦いが繰り広げられることになります。
その中において、三浦義村は、常に義時の側にいて、承久の乱においても活躍し、彼が存命のうちは三浦家は安泰なのです。
頼朝が京に上った際にも同行していますが、その時に有名な歌人、藤原定家が日記「明月記」に、義村のことを書いています。
「八難六奇の謀略、不可思議の者か」
八難と六奇は漢の劉邦に仕えた軍師、つまりそれほどの策略・謀略を駆使するものと都の人々にも恐れられていたようです。
以前義時に、自分の人生に面白いものなどないと語っていた義村ですが、彼の存在は鎌倉において、そして日本の歴史においても重大なものとなりつつあったのです。
三浦義村は、誠に頼りになる仲間だ。
御家人たちの勢力争い
義村の立ち位置、やったこととして、まず御家人たちとの勢力争いを生き延びたこと。
義経をかくまい、殺害した奥州を攻めた奥州合戦、
畠山重忠が無実の罪で陥れられた時は、その原因を作ったものたちを誅し、さらに、牧氏の変(時政パパが追放された事件)でも活躍。
髭の猛者、和田義盛も義時排除を画策し、義村はそれに賛同しますが、直前で裏切って和田氏は滅亡します。
実朝暗殺の立役者?
3代将軍実朝の暗殺。
実は義村が黒幕であったとのうわさもあります。
実朝とともに義時も殺されそうになっていたはずなのに、突然の体調不良で義時はその場を離れ、命拾いします。
このあたりがどう描かれるのか、三谷脚本がとても楽しみです。
そして、実朝を暗殺した公暁は義村を味方であると思い込んでいます。
公暁は義村に書状を託し、義村は「お迎えに上がります」といって討ち手を差し向けたとも、義村の屋敷に入ろうとした公卿がそこで殺されたとも言われています。。
義村は公暁を都合よく使っただけなのか、裏切ったのか、誰にも義村の考えはわからないのです。
公暁による実朝暗殺には、義村が実朝と義時を排除しようとした/義時と義村が組んで実朝を排除した/黒幕は後鳥羽上皇だった/公暁の一人芝居など、説がいろいろあり、どれをとっても成り立ちます。
義村が一枚嚙んでいる展開が面白そうだなあとは思いますが、さあどのように設定されるのでしょうか。
ちなみに義村の妻が公暁の乳母であり、子は公暁に仕えていたり、と関係は深かったのです。
承久の乱、その後
三浦義村の弟、胤義は検非違使として京で働いておりました。
検非違使とは京における令外官のひとつ。
かの義経も任命されて喜んでいました、もっともそれが原因となって義経と頼朝の仲はうまくいかなくなったのですが。
その弟から「後鳥羽上皇がとうとう義時追討に立たれる。味方せよ」と決起を促す書状が着ます。
さて、そこで義村、使者を追い返し、義時に通報、承久の乱が起こることになります。
政子の有名な演説もあり、はじめは朝廷に弓をひくとは畏れ多い、と尻込みしていた御家人たちも、一体となって京へ攻め上ります。
義村も軍勢を率いて出立します。
義村もこの件においては相当活躍しているはずで、ここも楽しみですね。
ちなみに義村の弟胤義は、子とともに自害することになります。
兄弟であっても義村は容赦ないのです。
義村がいなかったら、幕府はどうなっていたことか。
鎌倉殿の13人!三浦家は生き延びられる?
鎌倉殿の13人!において、幕府の礎を築くことになる北条政子、北条義時、大江広元がみな世を去ったあとも、義村は生きています。
幕府宿老として義時の嫡男3代目執権泰時を支え、北条家に次ぐ幕府重鎮の地位を確立します。
79歳で亡くなります。
このあとしかし、三浦氏は義村の死後10年ともたずに滅亡します。
北条家に匹敵する勢力となった三浦家、北条家とは緊張関係になりつつありました。
とりわけ北条家の外積である安達家との対立姿勢が明確になっていきます。
義村の後を継いだ泰村は北条にたてつく意志はなかったとされ、必ずしも決起しなかったものの、結局北条・安達の連合軍に攻め滅ぼされました。
泰村に、義村のような謀略を生き抜く知恵があれば、あるいは歴史は変わっていたかもしれません。
もっとも泰村は、多くの御家人たちを死においやった父義村の罪業の報いであるかもしれぬ、と言っていたことから、父の行いに胸を痛めていたのかもしれません。
そして北条得宗家の専制政治が確立していくのです。
生き延びた三浦氏の末裔が毛利氏として、戦国大名の毛利氏へとつながっていくのも興味深いです。
切ないなあ
鎌倉殿の13人!三浦家はどうなる?まとめ
鎌倉殿の13人!において、山本耕史さん演じる目を離せないクールな三浦義村と、その後についてはこうなります。
- 三浦義村は最後まで生き延びる!
- 比企氏、畠山氏、和田氏が次々滅ぼされる中でも時には裏切りもあるが、義時の盟友であり続ける。
- 実朝の暗殺、公暁の殺害についての関与は謎。脚本が楽しみ。
- 承久の乱でもいち早く情報をつかみ、幕府勝利の遠因となる。
- 義時亡き後も幕府の宿老として北条家に次ぐ地位を確立する。
- 義村の息子三浦泰村の代に、三浦氏は滅亡する。
歴史には抗えぬのか。
コメント